こんにちは。一棟懸命 楠本です。
今日は、私が疑問に思っていることを書きます。これは、誰からも聞いてないし個人的な感想なので、あくまで遊びの範疇で・・・
昔は西条って賀茂って呼ばれていました。今でも賀茂高校 ホットカモ 賀茂川荘やらその名残は残ってますよね。私は何でここが賀茂って言われていたんだろうと考えました。
調べてみましょう。
時は、710年代 天武天皇の時に日本各地で疫病が流行しました。その前に、聖徳太子が仏教を日本に広めていました。その流れを汲んで、天武天皇は、国分寺(国府)を日本各地に造りました。もちろん、意味があるところに・・・
そこで、安芸国分寺を造るに当たって賀茂氏が西条に派遣されて造ったんだと思います。賀茂氏は、陰陽道に通じていました。有名なのは賀茂忠行ですね。 陰陽師ってその当時は国の機関だったので、本気で結界を造っているし、インフラも整えています。
現在 西条で1番大きな神社は御建神社ですが、御祭神は素戔嗚尊です。その前は牛頭大王です。牛頭大王は陰陽道の神様で神仏習合の時に素戔嗚尊と同一神にされました。
もうちょっと深く調べてみましょう。賀茂氏の祖神は・・・事代主様なんですよね。
ここまでの話でわかった事は、西条は、出雲族の流れを汲んでいるんですね。
だとしたら、出雲大社が無いといけないんです。大国主命を祭って鎮めないと発展しないんです。
その気持を私は出雲大社にぶつけました。
すると、出雲大社から正式なお社を譲り受けました。
その時と同じくして、偶然ですが、事代主様 大国主命のお面が付いている飾るやつ(無知でごめんなさい)を親友から譲り受けました。
これって偶然 それともシンクロニシティー どっちなんだい。 まぁどっちでも良いんです。私が信じた道が私の道なんです。
※これを読んで私にスピリチュアルの話はしないで下さい。私は人のスピリチュアルの話を聞くと吐き気がするんで・・・